風知草の憂鬱 〜いかたろうと甲中 開の汚部屋〜 | ||||||||
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この地方のリアルヒストリー どうも。いかたろうです。ここではこの地方の現実の歴史についてお話します。 @発生 この地方で一番最初にできた地域は新玉県北部です。現在の中央州小金山市、北野市、池田市や西州の山中市、寺石市、早川市などにあたります。2002年頃に小金山自動車道が開通し、その後北野線が開通して、詳細な設定が決まりました。 その後にできたのが北野自動車道と新玉横断自動車道(今の三川自動車道)です。こうして、新玉県が完成し、茨松県の一部が出現しました。この頃は高速道路が先に開通して、それを基に市町村配置をし、鉄道を作るという順序が主流でした。 2003年頃に万葉県(今の西州多治川市、松原市、上信市など)が出現し、2004年に茨松県(現在の北信州)が出現しました。万葉県は新玉県と同様に、高速道路が設定の基になっています。これに対し茨松県は、現在行われている、市町村配置を基に鉄道と高速道路を作るというスタイルを最初に使った所です。しかし、高速道路は今でも松野市にしかないし、鉄道の詳細が決まったのも2007年頃で、長い間、市町村しか設定のない状態が続きました。 2005年頃に南海本線が長野実まで開通しました。これは鉄道をベースに他の設定を決めています。現在の南海州は当時南海地方と呼ばれ、県がありませんでした。 こうして初期の3県(1地域)が出揃いました。 A変革 2004年〜2005年に平成の大合併を行いました。しかし、若気の至りで合併させすぎてしまいました。首都の寺石市は人口が200万を超え、ところによっては面積が5000平方キロメートル以上と、千葉県に匹敵するような巨大な市ができました。(西州山中市。現在の大川市+村町市+中村市+天大寺村)特に、現在の西州にあたる地域では、市の半分以上が面積が1000平方キロメートル以上という頭のおかしい状況が発生していました。あまりにも合併させすぎて設定が不自然になってしまったところは、2015年のリニューアルの時に分割しました。 2006年の春にダイヤ改正を行いました。このダイヤ改正までは種別ごとの停車駅が決まっていませんでしたが、決めました。 また、このダイヤ改正から小学校の友人の架鉄「新未来鉄道」との間に直通特急が運転され始めました。 2007年に小金山市の東に比田県が出現しました。比田県は現在の比田州に相当しますが、車浦町や中郷町など南海本線沿線は、当時はありませんでした。ここも、南海地方と同じく、比田線をベースに市町村や高速道路を設定しました。 2008年に南海本線が全通し、南海地方西側が出現しました。 B挫折 そして、2008年頃から首都移転と道州制を考えるようになりました。概要では北見川区が云々と最もらしいことが書いてありますが、真っ赤な嘘です。理由は以下の通りです。 ・比田県の出現によって、首都の位置が西に寄りすぎてしまった。ちなみに、実現しなかったが、比田県をさらに東に伸ばす構想がこの頃あった。 ・このままで行くと山中市の人口が小金山市を抜く可能性があった。北野市は既に抜いていた。(たかが合併しただけの山国に中央鉄道のお膝元が、という個人的感情) ・新玉県が他の2県に比して大きすぎる。 ・南海地方に県がない。(新玉県の一部にしようとしたが、するとただでさえ巨大な新玉県がさらに大きくなる。) ・パクり県名に嫌気がさしてきた。 当時、自分の中には新首都として小金山の他に、北野、松野、比田、岐阜沢の5つの案がありました。しかし、小金山に割とすんなりと決まりました。 しかし、人口配分の所でつまづきました。当時、自分の中では、州都の人口の基準を50万人ではなく65万〜70万人位にするつもりだったので、なかなか上手く行かず、人口増加率が年率10%を越えないと実現できないような数値になってしまいました。 C逃避 自分は大分前からこの地方に嫌気がさしてきていました。主な理由としては、山中市を始めとする巨大市町村の出現と、それに伴う町村の激減、そして長浜市で突然切れる海岸線が挙げられます。そして、この道州制施行の失敗が契機となり、自分は今まで作っていた地方を捨てることにしました。 2009年の夏、僕は真新しいノートに市町村配置を書き始めました。ここが滋賀尻県、出原県、松浪県(現在の極東州と更科州東部)です。この後は全て市町村配置を基に他の設定をすることになります。ちなみに一番初めに書いたのは下淀崎郡北川村で、今でも北川村にはなんとなく思い入れがあります。 秋にかけて主要路線を中心に鉄道の詳細設定をしたあと、冬に更科県を追加して極東州と更科州の大部分が完成しました。(戸井田、三栗の両郡は2010年冬に追加されたもので、この時は存在しませんでした。) しかし、人口一覧を見て頂くとわかる通り、この2州は最大の宇治島市で州都になる前の人口が45万人と都市規模が全般に小さいんです。小規模な所でやってるのも地味で飽きてきました。なんだか小金山や寺石が恋しくなってきました。(ちなみに宇治島を比較的小規模にしたのは、前の地方での寺石のような一局集中を防ぐためでした。しかし、それが皮肉にも前の地方を復活させる原因になってしまいました。) D結合 ということで、既存の地方と新しい地方を融合させることに決めました。2010年の春頃のことです。 つなぎ目は比田県の海良野市と更科県の須賀崎町の間にしました。海良野駅に特急が全部停車し、快速以下の運転系統が別れるのは、この名残です。 その後、道州制の人口配分は何度も検討を重ね、2011年4月、ついに決着がつき、道州制が施行されました。が、それでも納得行かない部分が多かったため、2015年7月のリニューアルと同時に首都移転の設定がなかったことになりました。 そして、2011年9月、想像地図研究所や南西急行電鉄などのサイトを見て刺激を受け、このサイトを作るに至りました。 その後、2012年秋頃から、忙しかったりとか、作りかけの全図のデータがいきなり消えたりとか、パソコンが煙を吹いて戦闘不能になったりとか、いろいろあって更新を中断していましたが、2015年夏から更新を再開しております。 今後も良い架鉄、詳しいホームページ、良い意味での「質より量」を目指して精進していきたいと考えております。 |